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2020 | 3_27 | Friday

Wilhelm Kageのテラ・スピレアの考察

桜

コロナウイルスが相変わらず世間を騒がせており、今週末は首都圏で不要不急の外出禁止例など、本当に心配が尽きない日々が続いております。桜も満開と言うのに、感染も少し落ち着いて人出も緩んだと思いきや、ここ数日で、一気に感染と緊迫度合いが増してきてしまいました。人生の中で、震災があり、台風や洪水もあり、疫病までも起こるとはまさか夢にも思っておりませんでした。早くの終息をいたします様に、心より日々お祈りをするばかりでございます。外出ができませんと、まさに晴耕雨読でございまして、たまにはブログの読み物のノートを更新しようと思います。今回は、前回ご紹介時よりも、かなり多くの方にご注目、そして作品をお願いいただいております、ウィルヘルム・コーゲ作品の中でも、テラ・スピレアに焦点を絞ってのご紹介です。只今制作中の「作品帖3」では、コーゲ作品とフリーベリ作品の名品が大豊作でございまして、ページ数に全くおさまらず、今回はコーゲ・フリーベリの2大特集ともなりそうでございます。

 

ウィルヘルム・コーゲWilhelm Kåge Wilhelm Kage Terra Spirea テラ・スピレア

今回のノートは前回と同様に、ウィルヘルム・コーゲ作品のご紹介です。コーゲについて、またFarstaシリーズについては前回の記事も併せてご覧いただければと思います。

コーゲは元々、ドイツのミュンヘンでグラフィックデザインを学び、1910年代前半にはスウェーデンのポスターデザイナーの草分け的な存在として高い評価を受けていました。その後、スウェーデン工芸協会の後押しを受けて、1917年にアート・ディレクターとしてグスタフスベリ製陶所へと迎え入れられました。コーゲはスウェーデン工芸協会のスローガンに沿って、「労働階級者の人々のための機能的でかつ美しいサーヴィス(テーブルウエア)」を次々にデザインし、高い評価を獲得していきました。イギリスのアーツアンドクラフツ運動やドイツのバウハウスの流れが、コーゲによってここスウェーデンでも見事に花開いたとも言えます。

その中でもコーゲの陶芸一点物シリーズ、Farstaシリーズはテーウルウエアとは一線を画すものであり、普段使いのものとは別のラインとして1931年より制作を開始しております。推測ではありますが、アールヌーヴォーからアール・デコの流れの様に、貴族階級ではなく労働階級者の人々のための芸術品を、コーゲは作りたかったのかもしれません。コーゲも1925年のパリ万博、通称アール・デコ博覧会でグランプリを受賞しており、時代の寵児としてその責任を体現しているとも感じられます。元々総合的な芸術や美術に造詣が深いコーゲですが、制作当初の段階ではまだ迷いがあるのか、サザエの様なボコボコとした突起のある器や、中国の青銅器などの流れを組む器を中心に制作していた様に思います。彼の器が一気に変化を遂げたのは、スウェーデンのグスタフ国王が宋の時代の器、特に青磁などの収集家でもあり、その器を国策で研究をしようという流れが1935年より始まり、グスタフスベリ製陶所とディレクターのコーゲにその白羽の矢が立った近辺からと感じます。この辺りからベルント・フリーベリもコーゲの轆轤師として加わっており、師弟の作品制作が開始されてもおります。30年代後半から40年代は、何度も試行錯誤を経た片鱗の伺える、宋代の器を模した作品が多くなり、陶芸作品としての魅力が一段と増してきております。そして第二次世界大戦を経て、1945年にウィルヘルム・コーゲ、ベルント・フリーベリ、スティグ・リンドベリの師弟三人展がNKデパートで開催をされて後、三人の独自路線と黄金期が始まりました。コーゲの最高傑作は、ここより亡くなる60年までの15年間の間に作られたものがほとんどで、作品の完成度もまさに至高を極めます。

 

ウィルヘルム・コーゲWilhelm Kåge Wilhelm Kage Terra Spirea テラ・スピレア

陶芸一点物ラインのFarstaシリーズの中でも、その頂点にあるのが、テラ・スピレアと呼ばれるシリーズで、これは「小手毬の地球」という名前が付けられております。小手毬の小さな花を地球に見立てて、台座に配すと言うシリーズで、底面サインにはFarstaという表記はありますが、Terra Spireaと言うサイン表記はありません。台座のあるものの通称でもありますが、コーゲ自身がそう呼んでいた様です。彼の宇宙観や哲学を総合した最終到達点でもあり、ロダンの像のように、台座の上の人物像のような具象的な対象物をより抽象化して、よりアイコン的、オブジェ的なものに変容させるという、陶芸というよりもむしろ彫刻的なアプローチで作られており、Farstaシリーズ全般に言えることですが、コーゲは世界でも陶芸で彫刻表現をした先駆者とも呼べる存在であると言えます。

1990年代初めに50年代にコーゲと共に作陶や絵付けをしていた女性作家、Karin Bjorqvist(カリン・ビョールクヴィスト)にグスタフスベリで会った人物の話では、このテラ・スピレアは1955年から亡くなる60年の最後の5年間に僅か、500から多くとも600点しか作られておらず、その内、1958年の10月にニューヨークで開かれた、ウィルヘルム・コーゲ展にテラ・スピレアだけでも150点を出展してしまったため、スウェーデンには400点あまりしか残っていないとのこと。ビョールクヴィストはコーゲ死後にあまりの悲しさから、スタジオに残っているFarstaの器に一つづナンバーを入れて、グスタフスベリミュージアムに収めた人物でもありまして、今現在、旧蔵品として放出されている白いペイントのナンバーは彼女たち絵付師の手によるものでもあります。しかしコーゲはなぜこのような作品を、どういう意図で制作したかは、ビョールクヴィスト初め誰も知らないそうで、その哲学は現在では作品の佇まいだけが物語っております。

 

ウィルヘルム・コーゲWilhelm Kåge Wilhelm Kage Terra Spirea テラ・スピレア

最大級のテラ・スピレア作品たちです。台座は大きさによって形状や作りが変わってきます。一番大きなものは、赤茶の円柱のものが用いられておりまして、左のものが最大級の作品です。テラ・スピレアのほとんどの作品は素地に細かな掻き落としが入れられ、さらに絵付けが施されるものもあり、肌がマットなものと、上から澱青釉をずぶ掛けして青く発色する光沢の肌のものがあります。形はフリーベリが作りますが、その後の掻き落としや絵付け、釉の塗りやずぶ掛け全てはコーゲが担当しております、轆轤の上で楽しげにコツコツとタバコを燻らせながら器を制作するシーンは、グスタフスベリミュージアムのコーゲ展でも印象に残る写真でありました。その中でも縦方向に掻き落としが入れられ、横方向に赤と黒の絵付けが施された、古代ペルシャなどに見られる裂地のような文様は、テラ・スピレアの中でも最上手とされておりまして、宮内庁に贈呈され、収められているコーゲのテラ・スピレア作品も同手の文様が入れられております。右側のものは、土に黒と赤が練りこまれているような作品で、飛びカンナの様な文様も入れられており、かなり珍しく同手の作品は有りません。

 

ウィルヘルム・コーゲWilhelm Kåge Wilhelm Kage Terra Spirea テラ・スピレア

こちらも大きなテラ・スピレア作品たちです。右側と真ん中が澱青釉をずぶ掛けしたもので、バケツに入れられた泥のような白濁した液状の釉に、器を手で持って、ドバッと突っ込んだ後、そのまま焼成をします。焼成をすると不思議と透明感のある青に発色をして、下地も透けて見える複雑なレイヤーを楽しめます。どちらも台座まで釉が流れ込んでおり、このダイナミックな釉垂れが一番の魅力です。真ん中の作品は真っ黒な素地に澱青釉が掛けされており、この手の作品は宋代の器からヒントを得たようで、30年代から制作されておりまして、青い発色がより強調されて、濃く深い青の透明感が得られます。

 

ウィルヘルム・コーゲWilhelm Kåge Wilhelm Kage Terra Spirea テラ・スピレア

上の4点は、テラ・スピレアの中でもミニチュアサイズの作品たちで、全500点余りの中でもほとんど制作されておらず、本当に希少です。この手の作品は独特のグスタフスベリスタンプが押されており、それが底面に押されているかでミニチュア作品と判断できます。小さな中に裂地文様が施されたものも有り、もう今後は二度と現れることがない名品たちと思います。

 

ウィルヘルム・コーゲWilhelm Kåge Wilhelm Kage Terra Spirea テラ・スピレア

まるで胴の合間から涙が流れるような作品たちです。素地には最上手の裂地の文様が施されており、そこからナイフで削ったような跡が有り、澱青釉がスッと流れ落ちております。実物は頭を殴られたような、衝撃的な緊張感のある作品ですが、制作は極めて難しく、マットな肌と光沢のある澱青釉を混在させる難しさは、相当な熟達した技が無ければ成し得ません。勿論のこと、フリーベリの技術が冴えわたっておりますが、制作が難しいのか、同手の作品はほとんど無く、恐らくはこれを含めて制作数は数点のみと思います。

 

ウィルヘルム・コーゲWilhelm Kåge Wilhelm Kage Terra Spirea テラ・スピレア

真ん中は珍しい緑釉の作品で、最大級の作品ですが、繊細さを重視したのか、台座は小さなものと同じ仕様です。テラ・スピレアに限らず、マットな肌のFarsta作品は、初めに釉を塗り、そしてサンドペーパーで削り、暫くして後に、また釉を塗り、サンドペーパーで削るという工程を経ており、最後に自分の納得のゆく表情になるまでその作業は続けられ、焼成に回されます。この錆びついたような、または自然の岩肌のような複雑な表情は、その長い工程で生み出されており、まるで油絵の制作にも似ているように思います。感性と技術が不雑に絡み合うコーゲ作品は、極めて高次元で完成をしており、その素晴らしさに息を飲みます。

 

ウィルヘルム・コーゲWilhelm Kåge Wilhelm Kage Terra Spirea テラ・スピレア

こちらはコーゲの娘さん、クリスティーナ・コーゲのコレクションだったもの。クリスティーナさんは昨年の2019年に亡くなり、愛蔵の品々が市場に売り立てに出されました。プライベートコレクションとしてウィルヘルム・コーゲから家族へと引き継がれましたが、私物的な様相が強く、壊れているものや破れているものも多いものでした。ほとんど拾うことはできませんでしたが、売り立てのテラ・スピレアは僅かに数点のみで、特に完品はこちらのみだったと思います。その他にも、澱青釉の7点セットが出て参りましたが、そちらは作品帖3に掲載予定でございます。

 

ウィルヘルム・コーゲWilhelm Kåge Wilhelm Kage Terra Spirea テラ・スピレア

最後にマットな青いテラ・スピレアです。これは本当に珍しく、未だに同じものはありません。鮮やかで上質なマットな青の色が美しく、スウェーデン国旗のカラーでもある為、国王の為など、何か特別な事に制作をされたものと推測されます。気品さと上品さがあり、素晴らしい佇まいの逸品です。



ウィルヘルム・コーゲWilhelm Kåge Wilhelm Kage Terra Spirea テラ・スピレア

コーゲ作品はお写真に映らない何か特別なものを携えており、実物をご覧になった方々はその佇まいに足が止まってしまい、他の作品をご覧になりにいらした方も、結局コーゲを手にとってしまうことも多々あるほどです。テラ・スピレアに限らず、Farstaシリーズには祭器のような不思議な力が有り、その深い魅力は計り知れません。東京国立博物館のエジプトのコーナーで、古代のエジプト土器が並べられていますが、コーゲ作品が並んでいるのかと見紛うほどで、彼もやはりそこから強いシンパシーを得ていたものとも思います。有り難いことに今回ブログに掲載の作品全てを含めまして、既に100点弱のテラ・スピレアを扱うことができまして、総数の5分の1程が日本へと将来できましたが、当然いよいよ作品は無くなってきておりまして、金額も一段も二段も高くなって参りました。コーゲは昔から珍重されている為、直しが多く、全てが完品ではありませんが、テラ・スピレアだけは別と思います。まだまだこの良さを知って頂くために、新たなテラ・スピレア作品、またFarsta作品を探している最中でございまして、次号の作品帖3でも数々のテラ・スピレア作品を多くご紹介予定でございます。乞うご期待であります。コーゲ愛が強すぎて、長くも熱いブログになってしまいましたが、コロナ騒動の中、少し立ち止まって読み物を楽しんでいただければ幸いでございます。

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2016 | 3_31 | Thursday

Wilhelm Kageの考察

Wilhelm Kage(ウィルヘルム・コーゲ)

Wilhelm Kage(ウィルヘルム・コーゲ)

Wilhelm Kage(ウィルヘルム・コーゲ)

Wilhelm Kage(ウィルヘルム・コーゲ)

Wilhelm Kage(ウィルヘルム・コーゲ)

Wilhelm Kage(ウィルヘルム・コーゲ)

Wilhelm Kage(ウィルヘルム・コーゲ)

Wilhelm Kage(ウィルヘルム・コーゲ)

Wilhelm Kage(ウィルヘルム・コーゲ)

本日は、最近かなり注目を集めております、ウィルヘルム・コーゲについてまとめました。コーゲは、スウェーデン工藝の父でもありまして、もし彼がいなければ、世界のモダニズム陶芸の発展がかなり遅くなっていた可能性のある、20世紀の陶芸史を語る上では絶対に外すことのできない最重要人物であります。コーゲの残した功績、そして価値観の変革など、紙の上では今まで何となくわかっていたような気がしておりましたが、品物を数扱うようになりまして、ここ1年でじわりじわりとその本質がわかって来たように思います。以前より、本国スウェーデンはもとより、アメリカなど欧米での評価が極めて高く、人間国宝的な扱いを受けておりますので、品物も高額なものが多く、仕入れの扱いも少ないものでした。当初よりお写真で見るような器は、やや厚ぼったい作りで、なんだか素朴で微笑ましい雰囲気もしており、フリーベリなどの緊張感に比べますと中々難しいかなとも思っていましたが…。実物の持つオーラは、素朴な用の美とは一線を画すものであり、全てを凌駕した高次元での結晶体のような、絵も言わぬ霊性を備えた作品たちばかりであったのです。以前から日本では、学芸員さんや著名コレクターさんの方々の評価が高いものでして、私も少々眼上がりをしたのか、皆さんのおっしゃっていた意味が最近ようやくわかって来たようです。

 

上につらつらとお写真を並べましたこれらの作品は、コーゲの数作られた作品の中でも、Farsta(ファシュタ)シリーズと呼ばれ、氏の最高峰に位置づけられる、一点物陶芸作品たちのシリーズ名称でして、ほとんどの作品の高台には、そのサイン、Farstaが明記されております。作風は一見バラバラのようにも見えますが、形や色、文様など、古代ペルシャ、ローマ、エジプトなどの土器やガラス、銅器、また宋代の器からエッセンスを取り入れており、そこに彫刻や絵画の思想をミックスして、コーゲなりのオブジェ表現に再構築をしておりますので、全てに統一の哲学を感じさせるものです。1931年にこのシリーズがスタートしておりまして、ほとんどの作品には、制作年代がわかるように、スウェーデンのアルファベット一文字を底面サインに表記しております。31年の年代表記「a」を皮切りに、文字が一周回りまして、亡くなる年の60年、「b」で幕を閉じますが、この制作年代表記は、弟子のフリーベリも共通で使っているため、最終的には二周目の「p」で永久欠番になっております。実は1931年以前にも、ファシュタシリーズは制作をしておりますが、それらは作風がかなり奇抜で、陶芸としての美しさや統一感があまりなく、展覧会用に自らが粘土を貼り付けて制作したようなものでした。1925年にアールデコ博覧会にてグランプリを受賞した作品もそのうちの一つで、それらの作品は、全てを打ち壊すような荒々しいもので、アクセル・サルトと同じような、芸術は爆発だと言わんばかりの匂いを感じます(サルトも25年のアールデコ博覧会にてグランプリを受賞しております)。時代の流れを壊すということは、このようなものかと、それもまた違った角度から見ても面白いものです。

 

もともとFarsta(ファシュタ)とは、コーゲがアートディレクターとして在籍した、グスタフスベリ製陶所のある地名から名付けられておりまして、日本で言いますと伊万里のような感覚でしょうか。19世紀前半にレンガ会社として設立した、グスタフスベリ製陶所の歴史の系譜の中に、杭を打ち込むと言いましょうか、20世紀を代表する陶芸作品を、このグスタフスベリから発信するという意気込みでしょうか、Farstaシリーズはかなり緻密にコンセプトが練り上げられており、胎土はまるでレンガのような赤茶の土が多く用いられ、また象徴的に使われる青い澱青釉は、Farsta湾の青さを表現していると思われまして、随所にコーゲのこだわりと信念が伺えます。また、重さにも重要な意味合いがあるように思いまして、薄手の作品は紙のように薄く軽く、重い作品は鋼鉄のような重さがあり、実際に使うことはまったく想定されておらず、これはテーブルウエアなどの用の美ではなく、オブジェであり、神聖なる近寄りがたきものであるという線引きを意図的に行い、器たちを作品たらしめているようにも感じます。

 

主に30年代、そして第二次大戦中の45年まで、45年以降から60年までと作風はだいたい3期に分かれておりますが、 とくに1945年にNKデパートで開かれました、コーゲと、ベルント・フリーベリ、スティグ・リンドベリの師弟3人展から、作品の完成度は頂点を極めまして、これより亡くなる15年間に、神憑ったような様相の作品が多く誕生をいたしました。49年にはグスタフスベリのアートディレクターの座を、スティグ・リンドベリに譲り、最後は陶芸三昧の晩年を過ごしておりますので、その時期の作品は、フリーベリに轆轤成型させた器に、これでもかと細かな掻き落としや文様、刷毛目、絵付けが入れられており、その凹凸を伝う釉の肌は、複雑かつ芸術的で、すべてを極めた器の完成度に思わず息をのむほどです。

 

コーゲが作陶を始めました1920年代それ以前の陶芸史の中では、陶芸を用の美としてではなく、オブジェ的な発想で作った人物はおそらく皆無でございまして、装飾的な作品や、絵付けの絢爛豪華なものが、鑑賞陶器としては主流の時代でもありました。コーゲが東洋陶磁と、西洋の彫刻や絵画のエッセンスを織り交ぜ、全く新しい価値観を生み出した、まさに先駆けといっても過言ではなく、日本でも戦前は桃山の古陶磁復古が中心であったと記憶しております。その後の現代陶芸に与えたコーゲの影響は、世界的にもたいへんに大きなものと推測されます。またそのエポックメイキングな作品の制作には、轆轤師として招いたベルント・フリーベリの技があってこその完成がありました。まさに時代の偶然が生み出した産物でもありまして、アールヌーヴォーからアールデコ期に活躍した画家が、腕の立つ轆轤師を見つけたのも、たまたま工場の機械化の流れの前であったことが幸いしており、二度の世界大戦の貧しい時期に、国策として工藝を推し進めた時代背景も後押しとなりました。この偶然の出会いと時代性のおかげで、モダニズムの陶芸が生み出されたと言っても過言ではないように思います。

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2016 | 1_14 | Thursday

Bing and GrøndahlとCathinka Olsenの器たち

Cathinka Olsen カシンカ・オールセン

Cathinka Olsen カシンカ・オールセン

Cathinka Olsen カシンカ・オールセンCathinka Olsen カシンカ・オールセン

Cathinka Olsen カシンカ・オールセンCathinka Olsen カシンカ・オールセン

デンマークのBing and Grøndahl(ビングオーグロンダール)製陶所に在籍をしました作家、Cathinka Olsen(カシンカ・オールセン)の器たちです。お恥ずかしながら、私も昨年末まで知らなかった作家でしたが、絵付けの素晴らしさとその佇まいの優美さに衝撃をうけまして、かなり惚れ込んでしまいました。

ビングオーグロンダールはロイヤルコペンハーゲンと双璧を成すほど当時隆盛を極めた製陶所で、現在はロイヤルコペンハーゲンと同じように、カップアンドソーサーやイヤープレートなどの青い絵付けの作品がすぐに思い浮かびますが、19世紀末から東洋陶磁への着目を北欧諸国で最も早く取り入れ、アクセル・サルトをはじめ、グナー・ニールンド、ナサリー・クレブス、エッベ・サドリン、ヘニング・コペルなどなど、モダニズムの巨匠たちのほとんどが、そのキャリアをスタートさせた、北欧で最も重要な製陶所でもあります。後にロイヤルコペンハーゲンに買収され、現在は一つのブランドとして名を残すのみになっておりますが、ロイヤルコペンハーゲンも遅れること数十年で鑑賞陶芸作品制作の重要さに気づき、アクセル・サルトなどの巨匠が招致されておりますので、この先見の明は計り知れないものがございます。ロイヤルコペンハーゲンよりも後発の会社だったため、アイデア勝負のところがあり、今までにない斬新な切り口の発想が生まれたのではとも推測しております。グナー・ニールンドとナサリー・クレブスも独立したての頃は、ビングオーグロンダールに素材を提供してもらっていたとの記述もあり、もはやビングオーグロンダールがなければ、北欧モダニズム陶芸の黄金期は生まれなかったのではと思うほど、後世に与えた影響は計り知れないものがあります。

そこで登場するのがカシンカ・オールセンですが、彼はビングオーグロンダールの東洋陶磁系作家の元祖とも呼べる初期メンバーでして、1868年生まれの日本では明治元年生まれですので、モダニズムの巨匠たちの先輩とも呼べる時代の作家であります。すべての作品に絵柄が存在しておりますが、陶磁の肌に本人の絵付けが施されたものや、絵柄が陰刻されたものがほとんどでして、その筆の流れが西洋の油絵的なものではなく、墨絵のような柔らかくしっとりとした、東洋の雰囲気を感じさせるものが多いのが特徴です。アールヌーボーのモチーフを、墨絵や日本画で描くとこうなるといった感じでしょうか、そこが日本人の感覚としてスッと共鳴することができ、さらに卓越した筆さばきとモチーフの切り取り方、独自の感性に並々ならぬオーラをも感じて、引き込まれてしまうものです。当時のパリの万国博覧会に出展された、明治の名工たちの作品に強く影響を受けているようで、とくに金工や漆芸からの影響が強く、それを独自に昇華した後、陶磁器で再構成をしたように思いますが、上のお写真のお皿の絵付けは、まるで織部のような雰囲気もありまして、作品昇華の到達点は東洋とヨーロッパをミックスしたものから、日本の古陶磁のようなものまで、たいへんに幅広く多岐に渡ります。しかしキノコや植物のモチーフも多く、揺らめきや幻影、幻覚、反復など陶酔感を誘う、サイケデリックアートの走りのような感覚もたいへんに面白いものです。

CO1501_1 木葉文小壺  高さ5.7cm 幅8cm(ご売約)
CO1501_2 枝垂文花器  高さ18cm 幅6.7cm
CO1501_3 絵付平盃  高さ4.3cm 幅12.5cm (ご売約)

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2014 | 11_19 | Wednesday

ベルント・フリーベリの陶片

Berndt Friberg(ベルント・フリーベリ)

Berndt Friberg(ベルント・フリーベリ)

Berndt Friberg(ベルント・フリーベリ)

名工ベルント・フリーベリは超がつくほどの完璧主義者でもあり、数作れど僅かでも気に入らなければ失敗作と見なし、全て破棄していたと聞きます。しかし陶片は再利用されたのか、完全に粉々にされたのか、一切現存はしておりませんが、悲しいかな不慮の事故にてその陶片はいくらでも出来上がってしまいます。このミニチュアの青磁釉の碗も、空港などで他の重い荷物が上に乗り、フン潰されたものと思われます。代償として同じような代替品やお金では戻っては参りますが、これと同じものは二つとなく、もうあの美しさには二度と出会えないと思うと、ほんとうにこのような事故は文化の損失でもあると感じます。それはさておき、フリーベリ作品はストーンウエアと呼ばれる磁器に近い硬質な器で、少々の落下などでは早々にここまで粉々に壊れることがないほど丈夫な器です。陶片の断面を観察してみますと、見込みの底の高台周辺に青磁色の釉が厚くたまり、口縁付近にかけてはかなりの薄手で、断面ではほとんど見ることができないぐらいの薄掛けであることがわかります。素地の土はまるでキャラメルを割ったように、硬くカリカリに焼けたものですが、精錬度合いは素晴らしく、不純物の一切ない純白のもので、かなり粒子の細かい粉状の土を使っているようにも思います。釉の精錬も同じように作られたと考えられ、フリーベリ作品の美しさや強度の一旦をこの精錬度合いが大きく担っていると推測されます。さらにフリーベリのあの透明感は、この極薄掛けの釉から透けた純白の素地の肌が織り成す、ハーモニーのような美しさなのかとあらためて感動なのであります。
ちなみにお写真3枚目はカール・ハリー・スタルハンの天目釉のような見事な碗の断面です。当時のスウェーデンの製陶所の両雄が揃いましたが、比較をいたしますとこちらも釉、素地共に精錬度合いはかなり素晴らしいもので、フリーベリのものと似ていることがわかります。これは当時の北欧諸国では、同様の採掘場から掘り出された土と、同様の精錬機が使用されていたと推測され、そのおかげで作家や国に関係なく、あのシンプルで均整のとれた独特の美しさを持つ作品たちが生まれたように思います。ロールストランド製陶所の作品は型物が多かったため、釉の厚さが均一でフリーベリの作品より厚掛けではありますがかなり整っており、陶工たちの分業という人の手で作られてはおりますが、まるで工業製品のような精緻な仕上がりになっているは、ほんとうに驚かされます。

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2011 | 9_18 | Sunday

現代ヨーロッパの陶芸

現代ヨーロッパの陶芸

現代ヨーロッパの陶芸

現代ヨーロッパの陶芸

現代ヨーロッパの陶芸 (1972年)の初版は吹田貿易株式会社のものですが、こちらは8年後に淡交社が再販したもので、カラー図版を増やし西ドイツの器も加わったリニューアル版です。もともと吹田貿易はヨーロッパより陶磁器を輸入販売していたのですが、日本の方にヨーロッパ陶磁器の現状や情報がほとんど知られていないことを痛感したため、その穴を埋めるべく発行したのが初版本でした。イタリアに始まりフランス、スイス、イギリス、スウェーデンやデンマークをはじめとする北欧各国まで網羅しておりまして日本語で解説を読むことができる希少な本です。

もともとヨーロッパの陶芸を広く日本に紹介したのは、1964年に開かれた現代国際陶芸展で日本を巡回した大きなものでした。陶磁研究家の大御所でありました小山冨士夫さんが、朝日新聞社につれられヨーロッパ各国を訪問し、集めてきたものが展覧会を構成したようです。そのときの出品目録には、当時はまだ無名のルーシー・リーをはじめベルント・フリーベリ、スティッグ・リンドベリ、カールハリー・スタルハネも名を連ねており、すでに60年代から日本陶磁器会の超一流の目にはこれらの作家の作品が選ばれていたようです。

この「現代ヨーロッパの陶芸」の刊行の際にも、小山冨士夫さんにお声がかかり、現代国際陶芸展でのヨーロッパ訪問の現状レポートを国別に書き寄せています。これが今となっては大変貴重で、60年代前半当時を知る興味深い資料となっております。

スウェーデンの項目を少々抜粋しますと、「スウェーデンにはいろいろの陶芸家がいる。最も有名なのはスティ―グ・リンドベルグ(Stig LINDBERG)と、ベルント・フリベリ(Berndt FRIBERG)である。ともにスウェーデン第一の製陶工場として世界的に有名なグスタフスベリにつとめている。リンドベルグとフリベリは工場内に隣りあわせてそれぞれ研究室をもっているが、沢山の作品が列んでいた。リンドベルグは鮮やかないろいろのマット釉で斬新なデザインの陶器をつくるのに長じているが、フリベリは2メートル近い大男で大きな手をしていたが、1センチほどの小さな小壺を紙のように薄くつくる名人で、最初にスウェーデンを訪れた時、皇居に招かれ、グスタフ陛下と2時間ほどやきものの話をしたが、フリベリの小壺だけ100近く列べた一つのケースが皇居内にあった。」以上原文

当時からミニチュアは相当人気だったようですね。しかし展覧会、本ともにフリーベリの作品紹介は大きな鉢になっております。

ちなみに小山冨士夫さんが作られた、出光美術館の陶片資料室は器好きにはたまらないパワースポットとなっておりまして、日本や中国、朝鮮半島各地の窯跡から発掘した陶片が系統的に見ることができます。皇居を一望できる美しい眺めの中、疲れたら無料のお茶をすすり、ラウンジで休憩。そしてまた陶片三昧と、本展そっちのけで一日中楽しめます。眼下10センチにあの名品の高台や胎土が見れる喜びは何ものにも変えられません。中園さんも今度ぜひどうぞ。

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2011 | 6_17 | Friday

炎、土と人々(1942年制作)

Gustavsberg(グスタフスベリ)

1942年制作のスウェーデン、グスタフスベリ窯の紹介映画です。これがとにかく面白い。序盤は女性お二人がグスタフスベリを旅して、古き良き時代の器を眺めながら、当時の想いを馳せるコミカル仕立て。そして中盤は、陶工たちがテーブルウエアや便器、機械の部品まで作ってしまう驚きの映像。最後はコーゲ、リンドベリ、フリーベリがアート作品を作る映像が楽しめます。リンドベリとフリーベリはまだ若く、コーゲのスケッチを見てリンドベリが器の形をおこしていたり、二人で絵を描いてみたり、その横で釉薬をだまってフリーベリがかけていたりと、師匠の作品を手伝っている様子がよくわかります。とくにArgentaシリーズの金細工は、本当に一つ一つ彫っていたのかと感嘆しました。Farstaシリーズよりも手間がかかっているのではないでしょうか。そして最後のトリを飾るのはフリーベリの魔法のような轆轤です。あんな大きな器をいとも簡単に作っています。私でもできてしまうのではと錯覚するほど、鼻歌まじりで作っております。この頃はフリーベリもようやく自分の作品を作り始めた頃で、器の縁がまだ厚ぼったいアンカーゴッズと呼ばれる作品の時代ですが、あれだけの力量ですと、この後数年で、世界の賞を総なめにする作品を作り出すのは、わけないなと誰でも想像がつきます。とにかく百聞は一見にしかず。ぜひこちらよりご覧ください。

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2011 | 2_13 | Sunday

Gunnar Nylund(グナー・ニールンド)の功績 Note.1

Gunnar Nylund(グナー・ニールンド)

グナー・ニールンドという作家は、北欧陶磁器を知っている方なら良く耳にしますし、日本でも多くのお店で扱われている作品です。売られている作品の多くはRorstrand(ロールストランド)というスウェーデンの窯に所属していたときのもので、当時Gustavsberg(グスタフスベリ)と並び、スウェーデンではとても大きな窯でした。私が伺った凄腕コレクターさんのほとんどがグナー・ニールンドから北欧陶磁器に興味を持ち始め、集めだしたと聞いてふと不思議な思いがしていました。お値段のお求めやすさのほかに、何か魅力的なものが備わっているような気がしてなりません。かく言う私も、ニールンドが一番始めに購入した作品で、部屋に持ち帰った時の感動は今でも忘れられません。

 

もともとフランスで生まれたニールンドですが、父親はフィンランド人の彫刻家、母親はデンマーク人の陶芸家という芸術一家に生まれます。彼のキャリアのスタートは1926年から。Bing and Grondahl(ビング オー グレンダール)というデンマークではロイヤルコペンハーゲンと並ぶ大きな窯からでした。そこでニールンドはすでにシンプルなフォルムと釉薬の作品を手がけており、彼のスタイルはビング オー グレンダールで確立されていたと考えられます。(以下写真が当時の作品とサイン)

       Gunnar Nylund(グナー・ニールンド) Gunnar Nylund(グナー・ニールンド)

(実は、このビング オー グレンダールという窯は、北欧モダンデザイン陶磁器の黄金時代を生み出したきっかけとも言える、最も重要な役割を果たしておりまして、その周辺は次回ご紹介したいと思います。)

 

その後、ニールンドは1929年にビング オー グレンダールで出会ったNathalie Krebs(ナサリー・クレブス)とともにSaxbo(サクスボー)窯を立ち上げます。このサクスボーは小さい窯でしたが、とても実験的で、美しいマットな釉薬やシンプルなフォルムを生み出してしていったパイオニアともいえる窯。またビング オー グレンダールにいたAxel Salto(アクセル・サルト)も1931年から数年間在籍しており、1930年代には北欧諸国で最先端を走っていたと考えられます。この時期Berndt Friberg(ベルント・フリーベリ)はまだGustavsbergで轆轤職人として見習い中。Saxboのシンプルな作品は彼の目に鮮烈に写ったのではないでしょうか。フリーベリの1940年代初期のアンカーゴッズと呼ばれる作品は、あきらかに模倣したような、フォルムと釉薬が見てとれます。

 

さらにニールンドは1930年から、Rorstrandでの活動を同時にはじめており、その制作意欲はとどまることを知りません。その後はご存知の通り、RorstrandのアートディレクターとしてCarl-Harry Stalhane(カール・ハリー・スタルハン)とともに黄金時代を築き上げます。自分達がデザインした作品を型にして陶工達が作り上げていくという、アートを量産する手法を生み出し大成功をおさめました。1959年にはRorstrandを去り、デンマークの小さな窯Nymolle(二モル)へ。そこでは東洋的な器というよりは、よりモダンなオブジェというような作品を手がけるようになります。(以下写真Nymolleでの作品)

 Gunnar Nylund(グナー・ニールンド) Gunnar Nylund(グナー・ニールンド)   Gunnar Nylund(グナー・ニールンド)

1974年には自身のアトリエを構え、フリーランスとして活動をはじめます。ガラスやメタルの装飾的なオブジェ、宗教画をそのまま陶器にうつしたような作品など、陶器以外の分野にも才能を発揮し、その生涯を閉じます。

ニールンドはキャリアスタートから北欧モダンデザインの第一線に加わり、誕生を陰で支えてきた立役者と言っても過言ではありません。また一貫して彫刻家としての立ち位置を続けていたように思います。日本人でしたらボウル型の作品を使おうとは思いますが、当時、西洋諸国でシンプルなボウルをオブジェとして飾ってと紹介されたときの衝撃は、すごかっただろうなと推測できます。ニールンドの何とも言えない魅力は、そんな彫刻家としての先見性とアバンギャルドさにあるのかもしれません。

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