2011 | 2_27 | Sunday
黒い深鉢 Shuki 02
以前からニールンドの釉薬の表情と、フリーベリのそれとが似ているなぁと感じていました。兎の毛とよばれる細かく流れるような線はニールンドにも健在で、時代からしてもニールンドが先に作り出していたのは間違いありません。この流れかたは釉薬の成分がそうさせるのか、スウェーデンの胎土が独特なのかなど、その理由はよくわかっていません。
Gunnar Nylund 濡羽釉鉢(野沢菜漬)
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2011 | 2_24 | Thursday
冬の夢 松原健 at MA2 Gallery
恵比寿にあります現代美術ギャラリー、MA2 Galleryにておこなわれている、松原 健さんのエキシビジョン「冬の夢」にお邪魔してまいりました。今回の作品は、ご自身の夢や脳裏に焼きついた記憶を映像にし、象徴的なオブジェに閉じ込めるというもの。写真の手のオブジェ作品は、定印(お釈迦様が悟りを開き無我の境地を手に入れたときの手の形)をしておりその上にのせられた水晶を覗き込みますと、氏の記憶の映像がランダムに映し出されています。自分の記憶を隔離して、自身の浄化をおこなうという悟りの境地にも似た作品達は、張りつめた空間とともに、見る者も穏やかにしてくれます。その他、古い木箱、脱脂綿入れのアルミケースなど様々なオブジェに、記憶達がそっと仕舞われております。2月27日(日)までの会期ですのでお近くにお越しの際はぜひ、皆様の記憶もクリーニングしに行ってみてください。
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2011 | 2_18 | Friday
酔いどれに捧げるコーナーになりました
ブログの新しいカテゴリーはMoruとしておりましたが、どうも私の力では美しい料理ができないために、改めShukiになりました。漢字ですと酒器。北欧のアートピースは酒飲みにも優しい作品ばかり。肴を盛れば花になり、酒を注げば盃になる。また水に濡れて表情を変えた器は、やはりストーンウエアも焼きものだぁとじみじみ感じます。何だか他のことそっちのけで、こればかりになりそうですが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。ちなみに写真をクリックしますと、Galleryのように大きな写真を見ることができます。ご高覧くださいませ。
左 Berndt Friberg 濃藍釉鉢、右 Berndt Friberg 鉄紺釉鉢(大根のゆず酢漬)
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2011 | 2_13 | Sunday
Gunnar Nylund(グナー・ニールンド)の功績 Note.1
グナー・ニールンドという作家は、北欧陶磁器を知っている方なら良く耳にしますし、日本でも多くのお店で扱われている作品です。売られている作品の多くはRorstrand(ロールストランド)というスウェーデンの窯に所属していたときのもので、当時Gustavsberg(グスタフスベリ)と並び、スウェーデンではとても大きな窯でした。私が伺った凄腕コレクターさんのほとんどがグナー・ニールンドから北欧陶磁器に興味を持ち始め、集めだしたと聞いてふと不思議な思いがしていました。お値段のお求めやすさのほかに、何か魅力的なものが備わっているような気がしてなりません。かく言う私も、ニールンドが一番始めに購入した作品で、部屋に持ち帰った時の感動は今でも忘れられません。
もともとフランスで生まれたニールンドですが、父親はフィンランド人の彫刻家、母親はデンマーク人の陶芸家という芸術一家に生まれます。彼のキャリアのスタートは1926年から。Bing and Grondahl(ビング オー グレンダール)というデンマークではロイヤルコペンハーゲンと並ぶ大きな窯からでした。そこでニールンドはすでにシンプルなフォルムと釉薬の作品を手がけており、彼のスタイルはビング オー グレンダールで確立されていたと考えられます。(以下写真が当時の作品とサイン)
(実は、このビング オー グレンダールという窯は、北欧モダンデザイン陶磁器の黄金時代を生み出したきっかけとも言える、最も重要な役割を果たしておりまして、その周辺は次回ご紹介したいと思います。)
その後、ニールンドは1929年にビング オー グレンダールで出会ったNathalie Krebs(ナサリー・クレブス)とともにSaxbo(サクスボー)窯を立ち上げます。このサクスボーは小さい窯でしたが、とても実験的で、美しいマットな釉薬やシンプルなフォルムを生み出してしていったパイオニアともいえる窯。またビング オー グレンダールにいたAxel Salto(アクセル・サルト)も1931年から数年間在籍しており、1930年代には北欧諸国で最先端を走っていたと考えられます。この時期Berndt Friberg(ベルント・フリーベリ)はまだGustavsbergで轆轤職人として見習い中。Saxboのシンプルな作品は彼の目に鮮烈に写ったのではないでしょうか。フリーベリの1940年代初期のアンカーゴッズと呼ばれる作品は、あきらかに模倣したような、フォルムと釉薬が見てとれます。
さらにニールンドは1930年から、Rorstrandでの活動を同時にはじめており、その制作意欲はとどまることを知りません。その後はご存知の通り、RorstrandのアートディレクターとしてCarl-Harry Stalhane(カール・ハリー・スタルハン)とともに黄金時代を築き上げます。自分達がデザインした作品を型にして陶工達が作り上げていくという、アートを量産する手法を生み出し大成功をおさめました。1959年にはRorstrandを去り、デンマークの小さな窯Nymolle(二モル)へ。そこでは東洋的な器というよりは、よりモダンなオブジェというような作品を手がけるようになります。(以下写真Nymolleでの作品)
1974年には自身のアトリエを構え、フリーランスとして活動をはじめます。ガラスやメタルの装飾的なオブジェ、宗教画をそのまま陶器にうつしたような作品など、陶器以外の分野にも才能を発揮し、その生涯を閉じます。
ニールンドはキャリアスタートから北欧モダンデザインの第一線に加わり、誕生を陰で支えてきた立役者と言っても過言ではありません。また一貫して彫刻家としての立ち位置を続けていたように思います。日本人でしたらボウル型の作品を使おうとは思いますが、当時、西洋諸国でシンプルなボウルをオブジェとして飾ってと紹介されたときの衝撃は、すごかっただろうなと推測できます。ニールンドの何とも言えない魅力は、そんな彫刻家としての先見性とアバンギャルドさにあるのかもしれません。
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2011 | 2_9 | Wednesday
Berndt FribergのStengods Gustavsberg
Berndt Friberg(ベルント・フリーベリ)のStengods Gustsvsbergです。こちらの冊子は1979年にストックホルム国立美術館で開催された、フリーベリのエキシビジョン用に発行されたパンフレットのようなもの。高台に刻まれる年代サインの一覧や、釉薬のテストピースのカラー写真、バイオグラフィーまで冊子と言いつつも見応えは十分。フリーベリの専門誌はKERAMIKERとこちらの2冊しかなく、今となっては大変貴重な資料でもあります。フリーベリ好きには常に携帯したいマストアイテムなのですが、私の手元には今は無く、なんだか落ち着かない日々を過ごしております。
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2011 | 2_2 | Wednesday
レ・クリントのフロアランプ
レ・クリントという名前で、ビンテージのものを購入したのですが、謎が多いこちらのフロアランプ。ご存知の方も多いと思いますが、レ・クリントは日本の折り紙にヒントを得て、特殊プラスチックを折り込み、手作りシェードを生み出したデンマークのメーカーです。そのシェードは水洗いもできるという美しさと機能性も完備した優れものです。1940年代からの資料を見てみると、どれもスタンド部分がエレガントなものばかりで、写真のようなシンプルなものは全く見当たりません。しかし、底をひっくり返すと赤いフエルト地に小さくle klintのロゴシールが貼られています。スタンドにはやや錆もあり、初期に日本に入ってきてヤマギワ等で売られたものでしょうか?シェードはレ・クリントで間違いありませんが、やや使用感たっぷりでひん曲がってきております…。でも暖かい光を放つ力は健在です。
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