2014 | 11_28 | Friday
Tapio WirkkalaのSuokurppa
もう11月もあと僅か。先日まで今年も頑張るぞと思っていましたら、あっという間に年の瀬が近づいてまいりました。今回はタピオ・ウィルカラの彫刻作品、Suokurppa(スオクルッパ)をご紹介です。巨匠タピオ作品は、独特の美しさがたいへんに人気で、私も好きな作家の一人ではありますが、普段はあまり扱わず、その理由はとても簡単でして、他にたくさん扱われている方がおられるからであります。これは特に無理をしない商いというのが信条なためですが、こちらのSuokurppaとなりますと、そうは言っておられません。日頃よりお世話になっております、かたちのかたちのかたちさんが以前よりご紹介していた、このSuokurppaは、タピオの銀製品を製作している、フィンランドのKultakeskus Oyという老舗会社製作のものですが、その美しさとは裏腹に数が全くないことでも有名であります。私も5年探してようやく一つ手に入れたというぐらい稀少でして、世界を見渡しても扱う店がまったく無く、プロダクトではなく彫刻として売り出されたせいか、現存数もかなり少ないと思われます。こちらは鳥がステンレスで、台座がガラスのオーソドックスなバージョンで、他にも鳥が銅、銀、台座が銀、天然石など、さまざまな素材のバリエーションが存在しますが、とくにかたちさんの銀と天然石の組み合わせは強烈に珍しく、どんなにお金を払っても手に入らないぐらい稀少かつ貴重な一品でもあります。そもそもSuokurppaとは、沼地などに生息するシギ科の鳥のことで、忍び足で獲物を狙うその一瞬の様をタピオがうまく切り取り、シーンとした緊張感のある静けささえも表現をしております。極めて華奢な足と嘴ですが、しなやかでまるで動き出しそうな芯のあるラインがほんとうに素晴らしく、大自然の生命の力をも感じさせるものです。また、タピオお決まりのガラスの表情も秀逸で、冷たい北欧の湖のような、冷んやりとした温度さえも感じる台座が美しく花を添えます。細かいところを見ておりますと、タピオが粘土などでモデリングしたそのままを型取りして、ポンと作られているような気がいたしまして、まるでついさっき作ったような錯覚を覚えてしまいます。なんでも鑑定団のピンクパンサーのあれに似た、おそ松くんの挿入曲が聞こえてきそうな雰囲気もご愛嬌でしょうか。ソロリソロリと気配を消したシギの躍動感に惚れ惚れいたします。(ご売約)
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2014 | 11_19 | Wednesday
ベルント・フリーベリの陶片
名工ベルント・フリーベリは超がつくほどの完璧主義者でもあり、数作れど僅かでも気に入らなければ失敗作と見なし、全て破棄していたと聞きます。しかし陶片は再利用されたのか、完全に粉々にされたのか、一切現存はしておりませんが、悲しいかな不慮の事故にてその陶片はいくらでも出来上がってしまいます。このミニチュアの青磁釉の碗も、空港などで他の重い荷物が上に乗り、フン潰されたものと思われます。代償として同じような代替品やお金では戻っては参りますが、これと同じものは二つとなく、もうあの美しさには二度と出会えないと思うと、ほんとうにこのような事故は文化の損失でもあると感じます。それはさておき、フリーベリ作品はストーンウエアと呼ばれる磁器に近い硬質な器で、少々の落下などでは早々にここまで粉々に壊れることがないほど丈夫な器です。陶片の断面を観察してみますと、見込みの底の高台周辺に青磁色の釉が厚くたまり、口縁付近にかけてはかなりの薄手で、断面ではほとんど見ることができないぐらいの薄掛けであることがわかります。素地の土はまるでキャラメルを割ったように、硬くカリカリに焼けたものですが、精錬度合いは素晴らしく、不純物の一切ない純白のもので、かなり粒子の細かい粉状の土を使っているようにも思います。釉の精錬も同じように作られたと考えられ、フリーベリ作品の美しさや強度の一旦をこの精錬度合いが大きく担っていると推測されます。さらにフリーベリのあの透明感は、この極薄掛けの釉から透けた純白の素地の肌が織り成す、ハーモニーのような美しさなのかとあらためて感動なのであります。
ちなみにお写真3枚目はカール・ハリー・スタルハンの天目釉のような見事な碗の断面です。当時のスウェーデンの製陶所の両雄が揃いましたが、比較をいたしますとこちらも釉、素地共に精錬度合いはかなり素晴らしいもので、フリーベリのものと似ていることがわかります。これは当時の北欧諸国では、同様の採掘場から掘り出された土と、同様の精錬機が使用されていたと推測され、そのおかげで作家や国に関係なく、あのシンプルで均整のとれた独特の美しさを持つ作品たちが生まれたように思います。ロールストランド製陶所の作品は型物が多かったため、釉の厚さが均一でフリーベリの作品より厚掛けではありますがかなり整っており、陶工たちの分業という人の手で作られてはおりますが、まるで工業製品のような精緻な仕上がりになっているは、ほんとうに驚かされます。
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2014 | 11_13 | Thursday
奈良
とある内覧会に当選いたしまして、紅葉シーズン前の奈良へ。この時期は修学旅行の学生が大地を埋め尽くすようにおりまして、なんとも賑やかなものですが、自然と顔は上を向き、仏塔や仏閣に目が行きがちでありました。澄んだ高い空を背景に、軒下の組まれた木の美しさがよりいっそう引き立つようで、再訪の地で違う景色を味わうことができたのは有難いことです。とくに感慨深いのは、手元にある小品たちゆかりの場所へはじめて訪れたこと。東大寺と二分するほど隆盛を極めた元興寺もその一つで、今は大伽藍の名残だけがかすかに残り、そのひっそりとした佇まいには何とも言えない哀愁が漂っておりまして、歴史好きにはこちらのほうがぐっと魅力的に映ります。裏の屋根に残る瓦は飛鳥時代のものとされ、やはり奈良の地は日本誕生から背負ってきた、いろいろな人々の想いの重さが違うなぁとその長い歴史の道程に思い浸ります。そもそも飛鳥からなぜ、都が京都まで遷都していったのか、風水やら怨霊など諸説ありますが、奈良の地の溜池の多さが関東の人から見ると驚くほど異様で、おそらくは琵琶湖や桂川を始めとする豊富な真水が重要だったのではと、どうでもよいことにも歴史好きは思考を巡らせ楽しみます。入り口ではお寺関係の方ですかとよく聞かれましたが、否定するのもだんだん面倒くさくなるのはカルマが重いからでしょうか。徒歩にてまるで托鉢のようにまわったおかげで、最後は疲労困憊のため、半眼のまま無心の拝観ができる境地にまで至りました。
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2014 | 11_5 | Wednesday
碗たちの仕立て shinamono29
北欧器に所蔵している見事な碗たちを、いつもお願いをしておりますお茶道具屋さんに、大名物の名碗のように何とかなりませんかと無理を承知でお願いいたしまして、仕覆から中込、箱には柱まで誂えてもらい、フルセットにてそれぞれを仕立ててもらいました。 馬子にも衣装とはまさにこのことでありまして、近・現代の西洋人の感性で作られた作品たちが、お茶道具の一旦として、見事にその風格を一段と上げる素晴らしい仕上がりとなりました。それぞれ器の色味や作家性に合わせて、真田紐や柱の色、仕覆の柄までぴったりと整えてもらえるのはなんとも気持ちの良いもので、それは伝統芸とのコラボレーション作品とでも言いましょうか、一味違った雰囲気で碗たちに花を添えてくれます。
並んだお写真左から
ルーシー・リー ブロンズ釉碗 高さ8.7cm 幅11.8cm(ご売約)
ピーター・カラス 伊賀碗 高さ9cm 幅11.8cm(ご売約)
ピーター・カラス 瀬戸黒碗 高さ8.5cm 幅10.5cm(ご売約)
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